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近況 8月初旬に

Posted by on 2012年8月8日

もう8月になってしまった。終戦日が近づくと島尾敏雄『その夏の今は』をひっぱりだしては読んでしまう。戦争は嫌だ。敗戦の年、私は十歳だったが、身に染みていやだと思った。かなり年齢を重ねるまで、サイレンが鳴るとびくっとしてしまい、飛行機の音を聞くのが苦手だった。飛行機の中でで眠りにつくと、決まって空襲下の町を逃げ惑う夢にうなされる。

さて、最近数人の詩友が詩集を出版した。詩集の評価をあれこれする気持ちは全くないが、個人的に心にとまった幾篇かについて書いておきたい。

壱岐梢詩集『樹念日』(花神社)第一集である。初々しい、という言葉はよく言えばみずみずしい、悪く言えば幼稚ととられがちだが、この詩集の場合、まっすぐ、真剣、清々しさ、と言いう意味合いである。集中、「梅田事件」という実際にあった、殺人の冤罪で十九年間、刑務所に暮らしたという男性との交流を書いた一篇は印象的である。機会があったら読んでいただきたい。

荒船健次詩集『ひかりの朝に』(土曜美術社出版販売)私にとって若い日から親しんだ詩友の十冊目の詩集である。彼の半生の事件を淡々と記した趣であるが、その中の一篇「「ベーゴマにもなれなかった」は私に様々な古い記憶を呼び起こす、楽しいものだった。彼は若い日に長田恒雄主催の詩誌「現代詩研究」の同人で、私は彼より遅れてこの詩誌に参加した。やっと三十歳になったころで、詩壇的礼儀を心得ていなかった私はたちまち長田さんに嫌われ、追い出されてしまった。自分ではなにが悪かったのか全く分かっていないのだから困ったものである。彼の詩はその長田さんの詩二行を配置して成り立っている。「わかれても わかれても  わたしはひとりになれない」

「現代詩研究」から飛び出していった高田敏子さんのことや、それを悲しんでいたであろう長田さんのこと、やがて退会していった自分のこと、詩には書いていないが彼の退会だって、長田さんにとってやはり寂しいことだったに違いない。この詩が何とはなく心に沁みるのは、長田さんの詩に依っていることに私は気付く。長田さんは優れた詩人だったのだと、私はとても遅ればせに、いま気付いている始末である。荒船さんも私も、短い間だったが、世に優れた才能の近くにいたのだ。いまではそれがとても私を幸せな気持ちにしてくれる。

 

 

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