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絵のこと詩のこと

Posted by on 2014年6月14日

家の中のごたごたが少しづつ治まり、美術館に出かけたりできるようになりました。かって好きだったバルチュスが上野にきているので、岡山から上京した苅田日出美さんと見に行きました。もっとも気が弱くなっているせいか、バルチュスの退廃の気配には馴染むことができず、なんとなくしょげた気分で退出。ことにバルチュスの猫は地獄から出てきたような禍々しい顔をしているので怖かった。帰路に寄った西洋美術館のハンマースホイの絵に慰められる始末でした。絵というもの見る側のその折々の心の在り様で違ってくるものですね。1984年、わざわざ京都に行って観たバルチュス展はどうしてあんなに惹きつけられたのか、なんともちぐはぐした気分。

詩を書いたり読む時間がやっと戻ってきた。気ままに読み漁り、喜んだり、がっかりしたりしている。吉田隶平さんの「彼岸まで」はご本人が詩とも箴言ともつかないと断っていられるが、どちらでもかまわない、私は心惹かれて読んだ。文中から察して吉田さんは七十歳くらいになられたのだろうか。また一冊を通して澄んだ哀しみのようなものが流れているので、親しい人を亡くされたのだろうかとも思った。私自身が年々身近な人と別れていくので(まあ、当たり前なのだけど)淋しさに敏感になっているのかもしれない。「喜びは」という一篇は死んで「よくなっていく顔」と「苦悩を浮かべてゆく顔」があると書いている。先日私が見送った家人は眠るように死んでいったが、家庭で私の腕の中で息を引き取ったため一晩警察病院に預けられた。翌日、警察から戻ってきた死者は亡くなった日よりさらに安らかに、少し笑っているふうであった。よほど安心したのだろうか。詩を読んで自分のことに引き寄せてしまうのはダメな詩人なのかもしれないが、そんな外向きのことはどうでもよいと思う年齢に私はなってしまった。

塩嵜緑さんの詩集「魚がきている」も魅力的だった。繊細で気品があり、やはり時間の中を自在に行き来する感性に惹かれた。また詩誌「水盤」13の福間明子さんの「不都合な理由」が面白かった。なにやら哲学的で小生意気な御託を並べて、日々のご飯作りに専心している奥さん。「ねんねんさいさいはなあいにたり その美は普遍的 必然的」と言っておいて、もう一人の冷めた自分は「ほめるだけでいいのに ややこしく窓辺に座っている」のである。福間さんらしいケロッとしたユーモア。

こんなことを書いてるうちに金曜日も日暮れてしまい、郵便局の用事が足せなかった、医院に行き血圧の薬をもらうのを忘れてしまった、土曜、日曜血圧を上げないように静粛にしていなければ。

 

 

 

 

 

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