リチャード・ダッドのこと

一つ前のブログに鈴木孝さんの思い出としてリチャード・ダッドの絵について触れましたが、11月7日の日経新聞朝刊にダッドの代表作「お伽の樵の入神の一撃」が掲載され、井村君江さんが解説をされているの読みました。懐かしく、妖精がぎっしり並んだ画面を食い入るように眺めてしまいました。

1993年、つまり20年前、私はこの画家の画集を編集、発行したという変わり者で、「売れなくて困ったでしょう」とみんなから言われたものでした。その通りではありましたが、魅入られていた絵なので、そんなことなんでもなかった。若かったのでしょうね。狂気の発作から実の父を悪魔と思い殺害してしまった画家は生涯をブロードモアの精神科病棟で暮らしました。残された絵はロンドンのテイトギャラリーとべスレム病院付属美術館に展示されています。傑作のほとんどはテイトギャラリーにありますので、機会があったら見てください。地下のダッドが喜ぶと信じています。実際、私が出版に際してあれもこれもお世話になった、前述の美術館館長さんは「画集できましたね。地下の画家に代わって私から深くお礼を申し上げます」と言ってくれました。忘れがたい私の生涯の思い出です。

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10月の終わりに

月に一度は夢人館からなにか通信をお届けしようと思って始めたブログなのに、あっという間に月末になってしまいます。介護の必要な家族を抱えていると、雑用が多く、時間の過ぎるのがいやに早く感じます。最近、なにをしたかというと、極々個人的なことですがカイユボット展(ブリジストン)を見に行きました。印象派展がある度に1,2点目にしたことがあり、その都度、「へんな名前!」と思っただけで格別心に残った画家ではなかったのです。

今回、日本初の個展を見て、その静かな、清々しい画面に魅了されました。1,2点見ただけで浅はかな感想を述べるものではありませんね。たぶん代表作と思われる「ヨーロッパ橋」(1876年作。画家28歳の作品)の美しいこと。私の好みではこの年代に描かれた作品が展示作品全体の中で一番心ひかれました。画面を斜めに横切っている、やや暗い灰色の鉄の欄干、その欄干の柔らかな灰色の影。犬の影、人物の影、人々の衣服、みんな灰色で微妙な調和を見せながら、なぜかとても清らか。その清々しさが、「あ、これは朝なのだ」と私に思わせてしまったみたい。「朝の清らかな空気がこちらへ流れてくるみたい」と詩友樋口伸子に伝えたわけです。「でも、夕方かもしれない」と彼女は言いました。「なんだか懐かしい空気が流れているから」

そう言われると、辺りは急にパリの、様々な人が様々の生活を抱きながら歩いていく、明るい午後のようにも見えてくる。優れた絵って不思議です。このことは「孔雀船」83号に寄稿しておきました。

また少々前になりますが中部地方の伝統ある詩誌「アルファ」が次号で終刊となる旨、大石ともみさんからお手紙がありました。この詩誌は私が親しかった黒部節子さんが創刊者の一人で、とても優れた詩作品、翻訳詩が紹介される、あか抜けた詩誌でした。残念ですが、つまり長い長い年月が私たちの上を流れていったということですね。

それと前後して、やはり中部地方の詩人鈴木孝さんのご逝去を知らされました。彼の主催していた詩誌「宇宙詩人」の追悼号であり、終刊号となった一冊が届き感慨無量でした。鈴木さんとは近年ご無沙汰続きでしたが、詩誌「P&T]を主催されていた頃、紙上に狂気の画家リチャード・ダッドの連載をさせていただき、大変お世話になったこと今でも感謝しています。大学の先生なのにどこか子どもらしい、無邪気な一面があり、いつだったか、ベルギーのホテルに着いた途端、FAXが届いていますとフロントに言われたことがあります。父か母に異変があったかと、真っ青になってしまいましたが、鈴木さんからの通信で「楽しいベルギー旅行を祈ります」。怒りたくなったが、次の瞬間笑ってしまいました。10月も最後の日、なんだか泣き笑いをしてしまいそうです。

 

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8月終わりの日

2か月もブログを放置していたので、穴埋めをします。

詩の勉強会というのを有志で12年間、月1回続けています。初めは日本橋のアトリエ夢人館で。これは数回で、奥沢という住宅街へアトリエが移転。自由が丘が近い町なので、おしゃれなメンバーは喜びましたね。私は少女時代を過ごした町なので、どうってことありません。でも若い日の詩集「芦の里から」の舞台になった町なので、心の奥では懐かしいのでしょう。夢に出てくる我が家は必ず奥沢の家ですから。最近の夢ですが、亡くなった詩人木川陽子さんが、この家を訪ねてきたことがあります。私は家の中にいて、塀の外にいる彼女を招き入れようと、駆けずり回っているのですが、どうしても出入口がみつからないのでした。夢ではありませんが、この古い我が家であり、アトリエには勉強会のメンバーのほか、尾道の花本圭司さんやこの3月に亡くなられた宮崎のみえのふみあきさんが訪ねてきたことがあります。甲田四郎さんの「小野十三郎賞受賞記念会」もここで開いたのでした。 ほぼ7年間でここも閉鎖。いまは隣町の私の自宅で勉強。

勉強会は実作本位ですが、始める前に数編の参考詩?を読みます。古今東西さまざまな詩です。時には短編小説、たとえば三島由紀夫、吉屋信子、夏目漱石、島尾敏雄など、限りなく詩に近いものを読み、気に入ったら後で各自読んでください、というのもあります。最近読ませていただいた詩は、高橋新吉、与那覇幹夫、弓田弓子、アッシュベリー、入沢康夫、細田傳造、上手宰など。行き当たりばったりとはこのこと、といわんばかり、気に入った詩を読んでいます。

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思い出すこと、あれこれ

ペンで字を書くのがことさら好きだったので、ワープロ、パソコンで原稿を書くのはずいぶんと抵抗があった。詩はとにかく、散文の仕事が多くなってからはどうしても手書きでは手に負えなくなり、一大決心をしてワープロを購入したのは1989年(平成元年)。でもなかなか馴染めず、やむを得ない時だけこれに頼って数年が経ってしまった。独学で習い覚えたので一向に進歩しない。でも頑張るしかなかった。画集を編集し、僅かとはいっても連載エッセイなど書く身になると、ペン書きでは迷惑をかけることになる。いかにも機械音痴な私がそれでもパチパチ機械を叩いているので、友人知人を驚かせた。ところがやっと馴染んだワープロが姿を消し始め、みんなパソコン時代へ。これには泣いてしまった。でも意外と進取の気性に富んだ小柳玲子、武者震いをしてパソコンを購入。孫を拝み倒して、パソコンのごくごく基本を一日がかりで教えてもらった。でも辛かったですね。断固として機械に頼らない親友詩人鶴岡善久さんの手書き原稿が羨ましくもあり、往生したりもした。詩誌「六分儀」の編集を担当していた頃の思い出である。やっとパソコンで原稿だけは書けるようになった頃、どうしてもホームページを操らねばならぬ状況が到来。これも泣いてしまった。でもやるしかない。これはプロにお願し、立派なページを作ってもらった。一番易しく操作ができるように配慮していただく。それでもなかなか手がつけられない。叱咤激励を受ける。よちよち歩き出す。いまその最中。「老人にしてはあっぱれだ」と言う人が多い。なんだかしょんぼりしてしまう。「なによ!あんただってそのうち老人だわよ」と心の中でほざく。

 

 

 

 

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6月になって

長らくご無沙汰に過ぎてしまいました。この秋に2冊の著作を出版する予定のため、手直しに明け暮れていました。長年、望月苑巳さん主催の「孔雀船」に連載した美術随筆の編集が手間取り、疲れました。バウツ、スピリアルト、ベックリン、ボッシュ、クノップフ、エトセトラ。
20年間ヨーロッパを歩き回った収穫です。「孔雀船」以外にも新聞連載や雑誌に断片的に紹介した文章があり、まとまりがつかない有様です。
海外へ出かける折がなくなったので、日本での美術展にはできる限り足を運んでいます。
最近、「漱石の世界美術展」を観ました。漱石は「文学論」の中でフレデリック・ワッツに ついて、ほんの数行触れています。私はワッツの画集を出版しようと思っていた時期があり、イギリス19世紀の画壇にじかに触れていた漱石の文献は大変興味深く読んでいました。
ワッツの作品は今回の展示にはなかったけど、それなりに珍しい作品に出合いました。このお話はまた後日。

 

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