8月終わりの日

2か月もブログを放置していたので、穴埋めをします。

詩の勉強会というのを有志で12年間、月1回続けています。初めは日本橋のアトリエ夢人館で。これは数回で、奥沢という住宅街へアトリエが移転。自由が丘が近い町なので、おしゃれなメンバーは喜びましたね。私は少女時代を過ごした町なので、どうってことありません。でも若い日の詩集「芦の里から」の舞台になった町なので、心の奥では懐かしいのでしょう。夢に出てくる我が家は必ず奥沢の家ですから。最近の夢ですが、亡くなった詩人木川陽子さんが、この家を訪ねてきたことがあります。私は家の中にいて、塀の外にいる彼女を招き入れようと、駆けずり回っているのですが、どうしても出入口がみつからないのでした。夢ではありませんが、この古い我が家であり、アトリエには勉強会のメンバーのほか、尾道の花本圭司さんやこの3月に亡くなられた宮崎のみえのふみあきさんが訪ねてきたことがあります。甲田四郎さんの「小野十三郎賞受賞記念会」もここで開いたのでした。 ほぼ7年間でここも閉鎖。いまは隣町の私の自宅で勉強。

勉強会は実作本位ですが、始める前に数編の参考詩?を読みます。古今東西さまざまな詩です。時には短編小説、たとえば三島由紀夫、吉屋信子、夏目漱石、島尾敏雄など、限りなく詩に近いものを読み、気に入ったら後で各自読んでください、というのもあります。最近読ませていただいた詩は、高橋新吉、与那覇幹夫、弓田弓子、アッシュベリー、入沢康夫、細田傳造、上手宰など。行き当たりばったりとはこのこと、といわんばかり、気に入った詩を読んでいます。

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思い出すこと、あれこれ

ペンで字を書くのがことさら好きだったので、ワープロ、パソコンで原稿を書くのはずいぶんと抵抗があった。詩はとにかく、散文の仕事が多くなってからはどうしても手書きでは手に負えなくなり、一大決心をしてワープロを購入したのは1989年(平成元年)。でもなかなか馴染めず、やむを得ない時だけこれに頼って数年が経ってしまった。独学で習い覚えたので一向に進歩しない。でも頑張るしかなかった。画集を編集し、僅かとはいっても連載エッセイなど書く身になると、ペン書きでは迷惑をかけることになる。いかにも機械音痴な私がそれでもパチパチ機械を叩いているので、友人知人を驚かせた。ところがやっと馴染んだワープロが姿を消し始め、みんなパソコン時代へ。これには泣いてしまった。でも意外と進取の気性に富んだ小柳玲子、武者震いをしてパソコンを購入。孫を拝み倒して、パソコンのごくごく基本を一日がかりで教えてもらった。でも辛かったですね。断固として機械に頼らない親友詩人鶴岡善久さんの手書き原稿が羨ましくもあり、往生したりもした。詩誌「六分儀」の編集を担当していた頃の思い出である。やっとパソコンで原稿だけは書けるようになった頃、どうしてもホームページを操らねばならぬ状況が到来。これも泣いてしまった。でもやるしかない。これはプロにお願し、立派なページを作ってもらった。一番易しく操作ができるように配慮していただく。それでもなかなか手がつけられない。叱咤激励を受ける。よちよち歩き出す。いまその最中。「老人にしてはあっぱれだ」と言う人が多い。なんだかしょんぼりしてしまう。「なによ!あんただってそのうち老人だわよ」と心の中でほざく。

 

 

 

 

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6月になって

長らくご無沙汰に過ぎてしまいました。この秋に2冊の著作を出版する予定のため、手直しに明け暮れていました。長年、望月苑巳さん主催の「孔雀船」に連載した美術随筆の編集が手間取り、疲れました。バウツ、スピリアルト、ベックリン、ボッシュ、クノップフ、エトセトラ。
20年間ヨーロッパを歩き回った収穫です。「孔雀船」以外にも新聞連載や雑誌に断片的に紹介した文章があり、まとまりがつかない有様です。
海外へ出かける折がなくなったので、日本での美術展にはできる限り足を運んでいます。
最近、「漱石の世界美術展」を観ました。漱石は「文学論」の中でフレデリック・ワッツに ついて、ほんの数行触れています。私はワッツの画集を出版しようと思っていた時期があり、イギリス19世紀の画壇にじかに触れていた漱石の文献は大変興味深く読んでいました。
ワッツの作品は今回の展示にはなかったけど、それなりに珍しい作品に出合いました。このお話はまた後日。

 

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3月までの出来事

昨年末以来、身辺に病人、借りている土地(元夢人館のあった地域)の値上げ問題、大西和男さん追悼集の思いがけない評判のため嬉しい多忙、そんなことに振り回されて細かい詩に関するご報告を全部パスしてしまいました。思い出す順に書いておきます。

まず松尾直美遺稿翻訳詩集「解放されて」(ドイツ現代詩・花神社)がやっと出来上がりました。 なんと死の年から4年以上が経ってしまいました。エルゼ・ラスカー・シュラー、エンツェンスベルガー、など著名なドイツ詩人から、ふと知り合った詩人の作品まで楽しげに訳していった彼女の日々が生き生きと此処にあります。ほとんどのものが「詩学」紙上に長期連載されたものです。松尾直美は私の小学校6年生以来の仲良しで、音楽家を志していたのですが、なぜかドイツ文学にのめりこみ大学教授として生涯を過ごした女性です。私は自身が美術書の出版をする身となり、メンデルスゾーン、エルツェなどドイツ語圏の画家を扱う時はいつも彼女と旅を共にし、その美しいドイツ語の会話によってドイツの識者たちの信用を一気に集めてもらいました。音楽を志した人だけに発音の美しさはとびきりだったのです。

昨年末に頂いた詩集では与那覇幹雄さんの「ワイドー沖縄」に非常な感動を受けました。あまり に熱意のこもった礼状を書いたらしく、すぐ与那覇さんから電話があり、その後彼は私のことを友人知人に「ぼくのお姉さん」と告げるのでにぎやかなことでした。ま、お母さんと言われなくてよかったか。私たちは会ったことがないので、どんな弟か、外で会っても分かりません

3月初旬。詩人クラブ出版のアンソロジー「現代詩選」がやっと出来上がりました。私は美術担当なので、やはり絵の効果が一番気になります。今回九州の画家伊藤研之(故人)の作品10点余りを使わせていただきました。大成功と思っています。いかにも詩人好みな繊細で夢がかった絵がカバーを飾ってくれました。画家の絵は福岡の市立美術館に収蔵されているほか、県立美術館では遺作展も開かれたことがあるので作品のいくつかは皆さんの目にふれることがあるでしょう。

昨年暮れに頂いた詩集「となりにゐた人」(秋吉康著)花神社 についてももっと早くご紹介したかったのに、ほんとうに遅ればせとなってしまいました。彼は故大佛文乃さんの詩集や詩碑のためにご尽力のあった人で、ご自身の詩集はこれが初めてということです。詩集出版の折にはご相談にのるつもりでいたのに、私の家庭の事情で何の力にもなれず恥じ入っておりました。しかし詩集はさりげない表現の中に清らかな悲しみと温かさがあって、私にやさしく語りかけてくれるものでした。詩集のタイトルだけは彼の詩篇の中から私が選ばせてもらったものです。私の生涯で私の隣にいた人って一体何人いたのだろうか、そしてそのほとんどの、ある日ある時間の隣人を、私が思い出すことも、記憶していることもないのだという、変に茫漠とした気分にさせられたのでした。一読お薦めしたい詩集です。

ごく最近いただいた詩集「毛のむしられたエスキース」(赤木三郎著)は嬉しい詩集でした。私は著者と10代から同人誌を共にした間柄なのに、会ったのは50代という不思議な友人です。夢の中に生きているようなこの詩人と夢を調理してやろうと出刃包丁を構えている私とでは距離がありすぎて、ただその作品をうっとり読むばかりです。でも久々の纏まった詩集を心から喜んでいます。

同人誌「きょうは詩人」24号の初校校正が終わりました。4月下旬にはお送りできると思います。

 

 

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メンデルスゾーンの絵について

音楽家メンデルスゾーンが美しい水彩画を数多く残していることは、とてもよく知られていると、私は勝手に思い込んでいた。音痴で、小学校時代は音楽の時間はびくびくと過ごしていた私だが、少女時代からこの音楽家が絵も上手だったことを聞き知っていた。もちろん終戦直後の日本でその絵を見れる日があるとは想像もしていなかったが、世界には多芸多才な人がいるんだなあ、としょんぼりしていたものである。その無芸、情けない私がいろいろの事情のあげく、1992年、メンデルスゾーンの水彩画集を出版することになってしまった。いまでも変な気持ちである。画集は適当に売れていったが、今年になってからまたぽつぽつと注文がくるようになった。もちろん多くの人に見てもらいたいので、一心に荷造りしては発送しているが、不思議な気分ではあった。

思い出したのは先日日経新聞朝刊にメンデルスゾーンの絵が一枚紹介されていたことである。あれは音楽家の死の年に描かれたスイス、インターラーケンの風景画である。やや未完成かと思われる、淋しい、消え入りそうな風景である。遠くへ折れ曲がっていく道が、あの世へ行く道のようで、私の好きな一枚である。ああ、あの記事のおかげで画集を買いにきてくれたのかと、幸せな思いに満ちている日々である。

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