「満洲浪漫」を読む

「満洲浪漫」(大島幹雄著)を読む。大学生協に申し込んでおいたが、なかなか取りにいけなかったところ、受取役を引き受けてくれた人がプレゼントしてくれるという妙なことになってしまった。この著書の主人公長谷川濬は長谷川四兄弟(林不忘、潾二郎、四郎)の三男にあたり、「偉大なる王」(ニコライ・バイコフ著)を初めて日本に紹介した文学者として知られている。四兄弟の中では一番地味な存在で、現在ではあまり一般に知られていない。私1990年、長谷川潾二郎の画集を編集発行した(当時、ほとんど知られていなかった画家なので、ご親族からまで絶対売れませんよ、と心配された)。しかし2010年、潾二郎の大回顧展が開催され、多くの人に知られる画家になってしまった。画集はあっという間に売り切れてしまい、嬉しいのと一緒に、「私だけの静かな潾二郎さん」がいなくなってしまった。私が長谷川濬を知ったのは、潾二郎画集を作ったご縁である。林不忘、長谷川四郎の著作は潾二郎の絵より先に知っていたが、長谷川濬については全く知らない、有名な「偉大なる王」を買ってみたが、訳者は別の人だった。ただ画集の関わりで、濬さんのご長女嶺子さんは何回か私のアトリエ夢人館に遊びにみえた。元気な明るい女性で、こちらが励まされる感じの人だったと記憶しているが、すでに故人となられたことも、今回、「満州浪漫」によって知った。私が画集を作り上げた時、潾二郎の絵画の大コレクターだった病院長、岩井宏方先生がお祝いの席を設けてくださった。先生は神彰と長谷川濬が借金の依頼のため訪ねてきたことがあると話されていた。神彰の手がけた仕事が莫大な損失を出し、翌日は破産宣告を受けるといったような話だった。見たこともないような金額を聞かされ、私たち、ご招待を受けた側はシィーンとしていたものである。私はちょっとした野次馬根性もあって、今回、長谷川濬の生涯を知りたく「満洲浪漫」を読むことになった。しかし、一般的には幸せから遠かった詩人の生涯を温かく見守っている著者の心意気に慰められながら、よいひと時を持つことができたのだった。私自身が詩を書く人間なので、詩人とはこういう果もなく彷徨っていく魂なのではないか、と辛く身に沁みるのだった。

 

 

 

 

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10月の小事件

忙しくしているうちに、10月も終わりに近くなってしまいました。はかのいかない勉強と掃除洗濯に追われて疲れています。10月はよい詩集が何冊か送られてきて、慰められました。阿部日奈子さん、川島完さん、日笠芙美子さん浜江順子さん、村尾暉子さん、柴田千晶さん、ありがとうございます。介護に明け暮れている日々、展覧会ひとつ見にいくのが大変なので、刺激を受けさせてもらうのは、もっぱら書物です。『夜の歌』(窪島誠一郎著)を贈ってくださった方がいて、一心に読みました。私はメンデルスゾーンの最後の作曲とも思われる「夜の歌」を聴きたいと願っていたので、この著書は全く関係はないのですが、一入感慨深いものでした。締切を少々過ぎてしまった「孔雀船」の原稿を書き上げ、少しでも早く届けようと、慣れないメール送りをやってみました。天罰というのか、なかなか編集者に届きません。いたしかたなく郵便局から送り、「やっぱり老人は昔ながらの郵便に限る」とぼやきつつ帰宅。電話が鳴っているので飛びついたら、編集者の望月苑巳さん。「小柳さん。よく見たら届いていました」。わぁーん、望月さん、嫌い。

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10月

やっと秋らしくなりました。9月末、苅田日出美さんの第4詩集「あれやこれや猫車」(花神社)ができあがりました。美術愛好家の彼女らしく、デュシャンやゾンネンシュターン、オキーフからイヴ・クライン、ぴょんぴょんと跳ね飛んでいるエスプリ溢れる詩集です。この詩集のおかげで私は猫車というもの初めて知りました。猫を運ぶ車ではありませんよ。

続いて星野元一さんの文庫詩集(土曜美術社出版販売)が出来上がり、喜んでいます。難病で逝ったご子息への鎮魂歌は私の愛読書でした。この度、文庫に収められたため多くの人に読んでいただけるよい機会だと思っています。

 

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詩人クラブ・アンソロジーについて

そろそろ詩人クラブのアンソロジーの編集を始めます。私がお手伝いをするのは装丁。先日、この欄でお伝えしたように、今回は表紙カバー、中にはさむ7,8枚の挿画、すべて伊藤研之さんの絵を使わせていただきます。

伊藤研之(1907-78)福岡市生 1931年二科展に初入選 48年二科賞受賞 52年二科会会員に推挙 画業のほかにも地域文化活動に尽力する 78年死去 享年71

先日、ブログに伊藤研之さんのことを報じたところ、宮崎の詩人みえのふみあきさんより「なつかしい名前に触れ嬉しかった」とのメールが入り、こちらも嬉しかったことです。表紙カバーに選んだ絵「音階」(油彩1939年福岡市美術館蔵)を掲げておきます。

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近況 8月初旬に

もう8月になってしまった。終戦日が近づくと島尾敏雄『その夏の今は』をひっぱりだしては読んでしまう。戦争は嫌だ。敗戦の年、私は十歳だったが、身に染みていやだと思った。かなり年齢を重ねるまで、サイレンが鳴るとびくっとしてしまい、飛行機の音を聞くのが苦手だった。飛行機の中でで眠りにつくと、決まって空襲下の町を逃げ惑う夢にうなされる。

さて、最近数人の詩友が詩集を出版した。詩集の評価をあれこれする気持ちは全くないが、個人的に心にとまった幾篇かについて書いておきたい。

壱岐梢詩集『樹念日』(花神社)第一集である。初々しい、という言葉はよく言えばみずみずしい、悪く言えば幼稚ととられがちだが、この詩集の場合、まっすぐ、真剣、清々しさ、と言いう意味合いである。集中、「梅田事件」という実際にあった、殺人の冤罪で十九年間、刑務所に暮らしたという男性との交流を書いた一篇は印象的である。機会があったら読んでいただきたい。

荒船健次詩集『ひかりの朝に』(土曜美術社出版販売)私にとって若い日から親しんだ詩友の十冊目の詩集である。彼の半生の事件を淡々と記した趣であるが、その中の一篇「「ベーゴマにもなれなかった」は私に様々な古い記憶を呼び起こす、楽しいものだった。彼は若い日に長田恒雄主催の詩誌「現代詩研究」の同人で、私は彼より遅れてこの詩誌に参加した。やっと三十歳になったころで、詩壇的礼儀を心得ていなかった私はたちまち長田さんに嫌われ、追い出されてしまった。自分ではなにが悪かったのか全く分かっていないのだから困ったものである。彼の詩はその長田さんの詩二行を配置して成り立っている。「わかれても わかれても  わたしはひとりになれない」

「現代詩研究」から飛び出していった高田敏子さんのことや、それを悲しんでいたであろう長田さんのこと、やがて退会していった自分のこと、詩には書いていないが彼の退会だって、長田さんにとってやはり寂しいことだったに違いない。この詩が何とはなく心に沁みるのは、長田さんの詩に依っていることに私は気付く。長田さんは優れた詩人だったのだと、私はとても遅ればせに、いま気付いている始末である。荒船さんも私も、短い間だったが、世に優れた才能の近くにいたのだ。いまではそれがとても私を幸せな気持ちにしてくれる。

 

 

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